五輪エンブレム応募への思い

2016年5月1日 オツカワバロス




 思えば、2015年7月24日。これが全ての始まりだった。そう、旧エンブレムの発表である。この時私は、素直に美しいと思えるものを、見てしまったような気がした。心の内で、光り輝いているように思えたのだ。後に、Twitterで「うっとりとするデザイン」と評した。それほどまでに、私の目に美しく輝いたのである。

 しかし、その栄光も長くは続かない。思わぬところから声が流れたのだ。ベルギーから、「似ている」と。私も最初は「似ている」と感じた。声を強めるように、TwitterにはGIFも流れた。だが、よくよく考えてみると、似ていない。そもそも、ベルギー側が商標登録をしていなかった以上、そのエンブレムが通ってしまうのも無理は無い。
 少し話が逸れるが、1993年、フォントメーカーの写研社がモリサワ社を相手取った訴訟を起こした。「モリサワ社の『新ゴシック(現・新ゴ)』は、写研社の『ゴナ』を模倣したものである」というものだ。しかし、裁判所は「どちらもゴシック体の範疇を抜けない範囲で作られたもの。よって、ゴナと新ゴシック体が結果的に似てしまうことは避けられない」として、写研社の訴えを退けた。
 その考えは、このエンブレムにも言えることだと、私は考える。もし、知らずにいたのなら、「偶然の一致」で似てしまったのであり、それは仕方のないことだ。「結局、言い掛かりに過ぎなかった」、そんな声もどこからか聞こえる。

 旧エンブレムは、私の中で「偶然の一致」として収束した。しかし、作者の過去作に、明らかな不正があったという。最たる例が、某ビールメーカーのキャンペーンだ。多くの絵柄がトレーシングされ、旧エンブレムに美しさを見た私でさえも「嗚呼、これはいけない。なんということ・・・」と落胆したものである。(その後、当該キャンペーンの「被害者」が調子に乗ったような挑発でエンブレムを発表したところ、呆れたような出来だったことは、また別の話。)
 その後、彼の過去作の模倣に関する報道が過熱し、事実無根の誹謗中傷すら現れた。中には、家族の写真を無断公開するなどという暴挙に出た者もいるという。私にはただ、「デザインの『パクリ』ひとつで、何もそこまでやる必要はない。何故、五輪エンブレムがベルギーの1劇場のロゴに似ていたというだけで、デザイナーのプライバシーを晒しあげる必要があるのか?」という疑念のみが生じた。
 結局、「これ以上、家族が誹謗中傷を受ける訳にはいかない」と感じたのか、デザイナー自らエンブレムの使用中止を申し入れ、騒動は一応の収束を見た。私は素直に、「ただ残念」と感じたのだった。
 そして、新エンブレムのコンペティションが始まった。

 私は当初、既に「五輪単」が完成していたのにもかかわらず「私が応募したって、どうせ落ちる。それなら応募しないほうがいい。」と半ば諦めの気持ちで、応募するつもりはなかった。旧エンブレムの取り下げから応募までの間に、旧エンブレムのコンペティションにおける、次点作品が公表された。「こんなにレベルの高いデザインが流れている。私には雲の上の存在だ、勝てっこない。」そう感じてしまうほど、その美しさに溺れてしまったのだ。
 しかし、気がつけばもう応募してしまっていた。理性では諦めていたのに、本能が応募させてしまったのだ。「応募したことが、いずれ自らの糧となり、土台となる。応募しないほうが、お前にとっての不利益となろうぞ。」それは、天使のささやきか、それとも悪魔のささやきか。今の私でも、到底理解できない。

 応募した数日後、応募書類の不手際が見つかり、あえなく私は「落選」を確信した。しかし、これでよかったのだ。もし選ばれてしまっていたら、私は過度に舞い上がってしまっていただろう。そうして、私はもっと残酷なエゴイズムに飲み込まれていたかもしれない。
 ただひとつ、言えることがある。この経験は、私に残る大きな糧にできた、ということ。確かに、足跡を残すことができたのだ。それだけは、確かなことではないだろうか。